| 社内報 第0006号 | |
| 無償の愛は存在しない | 2001.01.01 発行 |
見返りを望まず、その身を犠牲にして尽くす・・・。”無償の愛”とは実に尊いものです。 しかしながら、そんなものがこの世の中に存在するのでしょうか? その”無償の愛”なるものを、バリ商事が独断と偏見で考察したいと思います。 そもそも人間は何かしらの見返りを求めて生きてるものです。 愛したら愛されたいし、料金を払えば、それに見合った商品を受け取るのが普通なんです。 なのに”無償の愛”とは、何の見返りも求めない自己犠牲の精神丸出しの愛であり 究極の愛のように感じられます。 しかしながら、我々は”無償の愛”にさえ、見返りを求め、 気付かぬうちに自己犠牲を調節しているのです。 臓器提供のドナーカード。自らの臓器を何の見返りも無く他人に提供する。 これぞ正に”無償の愛”ですが、これも自己犠牲を調節している良い例です。 このドナーカードは脳死判定を受けた時点で発動されるものです。 もし これが、健康に生活しているのに、急に電話が掛かってきて 「臓器を下さい」と言われるカードなら 誰一人、登録する人間なんていません。 「健康体であったとしても、我が子になら臓器を提供できる」と鼻息荒く叫ぶ諸氏・・・。 それはあくまで”我が子を救う”と言う見返りがあるのだから、”無償”ではありません。 ボランティアはどうでしょうか?これも一見、献身的な行為のように思えますが、 「良い事をした」と言う満足感が見返りに繋がります。 コンビニのレジ前に置いてある募金箱に全財産を詰め込む人間はいないし 多額の寄付金を提供する人だって、自分が食べていけるだけの額は残しています。 これら たった数例だけでも、”無償の愛”の存在は否定されるのではないでしょうか。 それらから鑑みて、”無償の愛”は人間のエゴだとバリ商事は考えています。 「心から愛してる人に給料三ヶ月分のプレゼントをした。何も見返りは期待してない」 本気でそう考えてる人間でも、その相手が「いらない」とプレゼントを突き返すと 「ありがとうくらい言ってよ」と思うでしょう。これも人間の完全なるエゴです。 でも、人間は誰しも自分が一番大切だし、また、それでいいんだと思います。 ”無料で ものをあげる”事をプレゼントと言うなら ”無料で働く”事をボランティアと言う・・・それでいいのではないでしょうか? 本人が自発的にやってる事なのだから、美談にする必要さえないのです。 ”無償の愛”などと ありもしない言葉に夢見がちになるぐらいなら 自分がエゴの固まりであり、自分が一番可愛いんだと言う事に気付くべきです。 「どうして こんなに良くしてくれるの?」と言われた時は 「一番大切な自分が好きになった人だから・・・」と答える。 それで十分だし、愛とは”無償”だとか、そんなに小難しいものではありません。 出逢う前は何処で のたれ死のうと平気だった人が その人と出逢い、好きになると、その人の痛みも喜びも共有するようになります。 正に他人事ではなくなって、「私が何とかしてあげたい」と思うようになる・・・。 それこそが、素晴らしきエゴなのです。 だからこそ、心から愛されてる人は大船に乗った気持ちで居てください。 ”一番大事な自分の分身”は、死んでも守ってもらえるのですから・・・。 | |
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